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日本スキー事始め [テレマーク・山スキー]

時は明治44年(1911年)1月12日、豪雪地帯で知られる上越高田にその人はやってきました。
その名をテオドール・フォン・レルヒ少佐。オーストリア・ハンガリー帝国の武官です。
日露戦争で日本が勝利し、八甲田山で惨事が起こったという時代背景がありました。
本来は軍隊視察の名目で日本を訪れたレルヒですが、スキーの名手でもあることから急遽スキーの指導をすることになったみたいです。

そして高田の地で「mettez les skis!(メテル・スキー)」(スキーをはきなさい)の号令と共に日本にスキーが伝えられたのです。レルヒはマティアス・ツダルスキーの弟子で、1本の杖で滑るリリエンフェルト・スキー術を伝えました。軍隊だけでなく、男女、官民問わずスキーを楽しむさきがけになりました。

レルヒのよき理解者でもあったそのときの陸軍13師団長、長岡外史の孫である著者が資料を研究して記述したこの本からはスキーに対する熱い想いが伝わってきます。

高田には金谷山公園があり、スキー発祥記念館で当時の貴重な資料を目の当たりにすることができます。


IMG_2973.JPG

日本スキー事始め―レルヒと長岡外史将軍との出会い

  • 作者: 長岡 忠一
  • 出版社/メーカー: ベースボール・マガジン社
  • 発売日: 1989/01
  • メディア: 単行本



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