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転生回廊―聖地カイラス巡礼 [ヒマラヤ]

映画『おくりびと』の原点ともなった『納棺夫日記』の作者によるカイラス巡礼。カイラスとはチベットにある標高6656mの聖なる山。サンスクリット語の水晶が語源とされますが、現地のチベット語では「カン・リンポチェ」雪の尊王とか尊い雪山の意があります。この山は登るための山ではありません、聖地であり巡礼の山なのです。

チベット探検の書はいくつかありますが、カイラスにマナサロワール湖、そのアプローチの困難さを考えると、現代においても探検の名にふさわしい場所ではないかと思います。チベット仏教者にとっては一生に一度は訪れてみたい憧れの地。一周52kmの巡礼路を「五体投地」という最高の礼をもって祈りを捧げます。 「オム・マニ・ペメ・フム」の真言を唱えながら・・・。祈りの姿は心を打たれるものがあります。

「観光とは光を観に行く旅」と筆者は語っています。そしてこの本は光を探しに行った旅の記録であると共に、思索の書でもあります。古今東西を問わずいろんな人の言葉が数珠のようにつながっていきます。美しい写真も掲載されていて、キーワードには丁寧な解説が付記されている親切さ。チベット入門書としてもおすすめできそうです。

***展覧会のお知らせ***
『聖地チベット展― ポタラ宮と天空の至宝展』が上野の森美術館で開催始まりました(2009/9/19(土)から2010/1/11(月)まで)。九州、北海道と巡回してきて、来年は大阪、仙台を巡るようです。


転生回廊―聖地カイラス巡礼 (文春文庫)

転生回廊―聖地カイラス巡礼 (文春文庫)

  • 作者: 青木 新門
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/08/04
  • メディア: 文庫


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ネパール王国探検記 [ヒマラヤ]

澄み切ったヒマラヤの青い空、9月後半からはネパールでは世界の屋根を眺めながらのトレッキングシーズンがスタートします。雨季が終わってその姿を現すヒマラヤの高峰は降り積もった真っ白な雪に覆われ、輝かんばかりに聳え立っています。(ヒマラヤの高山では雨季である夏に雪が降るのです)

昨年、「ネパール王国」は「ネパール連邦民主共和国」になりました。現在、憲法の制定中で政情の安定には今しばらく時間がかかりそうです。ネパールの面積は、北海道+九州+四国にほぼ等しい程なのですが、その中で多くの民族、言語、宗教が複雑に絡み合っています。ヒマラヤの高所登山ガイドとして有名なシェルパ族をはじめ、険しい山で隔絶され、厳しい自然の中で独自の文化を歩んでいる民族の暮らしは非情に興味深いものがあります。

この本は、今年7月に惜しくも亡くなられた川喜田二郎氏によるネパールの学術的な探検の記録です。氏は、データをカードにして、グループごとに分けて整理し、まとめる「KJ法」の生みの親でもあります。学術的な登山記録を読む度に、その視点に驚かされ、ものを見るとはどういうことなのか、改めて考えさせられます。いかに多くのものを見過ごしてしまっていることか、身の回りにはいかに発見の種があることか。登山にも旅の要素がたくさんあります。学術的なものでなく観光であっても、海外でなく国内であっても、訪れた土地で、そこに住む人とのふれあいは、登山を一層豊かなものにしてくれます。


ネパール王国探検記 (講談社文庫)

ネパール王国探検記 (講談社文庫)

  • 作者: 川喜田 二郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1976
  • メディア: 文庫

「KJ法」に関しては中公新書⇒発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))


☆★☆おまけの写真☆★☆


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K2 非情の頂 [ヒマラヤ]

「K2」それは標高8,611mの世界で2番目に高い山。岩と雪の巨大なピラミッドとも言えるその山は、急峻な地形と不安定な天候から多くの登山者の挑戦を退けてきました。その困難さはエベレストをしのぐもので、4人に1人が亡くなっているというデータもあります。初登頂されたのが55年前の1954年7月31日イタリア隊によるもの、第2登は1977年8月8日の日本隊によるものです。

場所は最近ニュースにもなっている新疆ウイグル自治区とパキスタンの国境、カラコルム山脈に位置します。大雑把に言ってしまえばインドの上の地球のしわです(8000m峰と7000m峰はここにしかありません)。K2のKはこのカラコルムのKで測量番号がそのまま名前になってしまったのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、この本はK2に登った5人の女性達の人生を描いたノンフィクションです。執筆された時点でK2に登頂した女性はたったの5人でした。そしてそのすべての人が8000m峰で亡くなっていたのです。女性の初登頂はポーランドのWanda Rutkiewiczで1986年のこと、しかしその陰には「ブラック・サマー」と呼ばれる大量遭難の悲劇がありました。

8000m峰へ登るという情熱は今でも並大抵のものではありません。技術的にも資金的にも人生を山に賭けなければできないことです。さらに女性ならではの身体的ハンデを乗り越え、それにもまして差別とも言えるような社会的なハンデを乗り越えて登頂を成し遂げたのです。同じ登山をしても女性は「家庭を顧みないで」とすぐに非難の対象になってしまうことなど、著者の男性登山家に対する批判は痛烈でかなり手厳しいです。

経験が少なくてもスポンサーがついてしまって、持てる力以上に無理をせざるを得なかった状況が事故を招いてしまっているのではないかというような考察がありました。個人的には女性はとても忍耐強いのではないかと思います。山を登っていても先に音を上げるのは男性諸氏だったりします。我慢のしすぎは気をつけなければなりません。

K2の呪われたジンクスは破られています。2004年にスペインのEdurne Pasaban、2006年にはイタリアのNives Meroi と日本の小松由佳(日本人女性初登頂)、2007年に2人、2008年に1人と計11人の女性が登頂を果たしています。


K2 非情の頂―5人の女性サミッターの生と死

K2 非情の頂―5人の女性サミッターの生と死

  • 作者: ジェニファー ジョーダン
  • 出版社/メーカー: 山と溪谷社
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 単行本


***参考リンク***
小松由佳さんが隊員として参加した記録はこちら⇒Web『東海大学K2登山隊2006』
書籍では 『K2 苦難の道程(みちのり)―東海大学 K2登山隊登頂成功までの軌跡』

1986年のK2の大量遭難「ブラック・サマー」の記録はこちら⇒書籍 『K2嵐の夏』


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